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500年の歴史をたずねて-私の研究と首長族-

メーホーソン県へ(首長族村へ)

2月13日晴天気温28度

今日一日首長族をガイドしてくれる人と午前9時にHotelのロビーで会う約束をしたいたのでAM8:50にロビーに降り待機した。
彼は、「永田さんですか、私がNO-です。よろしくお願いします」と流暢な日本語で自己紹介をした。
首長族について

・チェンマイの首長族(カレン族・アカ族・パロン族ラフー族・ヤオ族・カリョー族)はチェンマイ市が20数年前頃から国境近くの山岳に点在する少数首長族の中から観光事業の一環として一部の人達を選び移設し、運営している。
・首長族並びに他の族も現地の人達の生活環境と全く変わっていない。

そして「永田さんの訪問の目的について、首長族の中に私が親しくしている婦人が居られますから、用意された項目の他にどんなことでも直に質問してください、きっと良い回答が得られると思います」 と道中車の中で話を聞きながら、ホテルから北に向かって伸びている大きな幹線道路を約2時間近く走った。
車はメーホーソン県に入り、左側の小さな標識に沿って舗装のない凸凹の道を輪だに沿って30分くらい這入った。
この道に入るには慣れた人でなければなかなか入れないだろう、入り口の無造作に掲げられた標識はややもすると見過ごしてしまう程小さく、白い板にタイ文字を黒色書かれた粗雑なものであった、私達の常識では、明確に村への進入を示すもののようではなかった、標識は年忌のはいった古いもので、馴れない人には見過ごしてしまうかも知れない代物だった。

首長族の村へ

午前10時45分を過ぎて、外の気温は既に上昇しており、羽織っていた赤と黒のネルの一松模様のシャツを脱ぎ車に置きたかったが、外の木陰の気温が涼しく、そのまま着て村内え入ることにした。車置き場からゲートを通って少し中に入ると樹間の木陰に青い竹を割り、板状に広げ、上を樹木の下枝に掛け40度くらいの勾配をもって差渡した寄妙なものが眼に飛び込んできた。
しばらく佇み眺めたが全く理解できなかった。

奥の樹の下枝に差渡された青竹の上に、男の人が体を横たえ休息を楽しんでいた、竹が自然のベッドに変わり涼を楽しんでいるようだった。
置き場内には私達が乗ってきたライトバンを除き乗用車が数台、奥の方に荷台をアルミの板で囲った大型のトラックが1台あり、グリーンのプレートにローマ字と数字が並んだナンバープレートの車が見えた当た。ツアーガイドやドライバーが休息出来るよう配慮したもののようだ、木陰の気温は20度位で日の当る場所に比べたら温度差を感じさせ、かなり涼しく苦にならなかった。

準備の段階で、タイは11月から3月迄では乾季であり、北部のチェンマイは朝晩の気温が下がることから着物には留意するようにして健康を優先した、多少の汗は家の軒や木陰を歩き辛抱した。
気温は樹陰は思ったより涼しく新鮮な空気は清清しさを満喫させてくれた。
NO-さんは草葺きの建物の入り口の寄りかかるように立っている管理人らしいい人に合図した。挨拶でもしたのだろう、管理人も右手をで合図を返していた。
Noーさんは車を降り、草葺きの建物に入り、私達(ドライバーを含め3名)の来訪を告げ入村の許可を受けているようだっだ。
手元を見たわけではないが、入村する為に200B(タイ通過バーツB:1B=2.5円)近くの料金(入村料)の支払いをしたのだろう、先ほど来のNO-さんの説明から推してそのように思えた。
ドライバーは車に残り、私とNOーさん二人が車を降り、ゲートらしい小屋の前を通り過ると木の根が露になった小さな坂道を下りて村落に入った。

村内に入りロケーションには電柱や架線等が全く見当たらず不思議な違和感を覚えた。
竹を主に駆使して建てた草葺の風情は国境に生息する山岳民族の伝統をこの住む村民の手で再現したものとNOーさんは説明してくれた。

入村して間もなく右側に建つ近くの家から笛(翔らしき)の音が流れてきた。
何の音だろうと音の方角を探した、部族名は分からないが男性が、黒に独自な文様を刺繍した民族衣装を着た男の人がしゃがみこんで翔らしい音を奏でいた、NO-さんの説明によると、私達を迎えてくれているのだと云う。

奏でてくれる男の人の瞳は私達を見衛っているようであり、濁りのない清清しさがあり、その優しい典雅な余韻の響きに何時しか私は手を合わせて感謝していた。
想定していなかった歓迎だったからである、失礼だと思いながらもついシャッターを押していた。
翔の主は嫌な顔を見せず笛を奏でながら清清しい眼で快く笑顔で応じてくれていた。
私は翔らしき音に未練を残しながら村内の中央に入っていった。

こうした素朴で典雅な風情を与えてくれる歓迎は過去の旅では味合えることが出来なかった。
首長族は危険であると決めて敬遠した評価を真向から否定するものとなった。
内面では部族間の争いはあっても、彼らが族外の人に危害におよぶことは到底考えられなかった、この村に住んでる人々の眼は、どの人も心を覗かせる輝きを覚えずには居られなかった。
現地に来て確心したことだが、むしろ清清しさを疎む周囲の人々の偏見であり、むしろ見る人の心の貧しさや驕りさえ覚えるほどだった。
彼らにしても、人としてのプライドやステイタスがあり、訪れる人達と心が通う優しい人達であることを示していると確信した。